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・真田さんと猿飛さんは任されたお城を退いて逃げることになりました
・ので猿飛さんは真田さんをとても心配してお互いに化けて逃げることにしました
・よって本文中のビジュアルは「真飛佐助」と「猿田幸村」です
・ゆきさ
・後編の「待燕」を次のイベントで出す予定です(完結)
ちなみに、書いてる途中ではっと我に返って、「別にお互いに化けなくていいんじゃね…?」と思いましたが、そこは…しょうがない…
一番安全に逃げるんなら、全然ふつうの一般市民に化ければいいよね…と気がついた…
はっ、そういえば。まじでか。
佐助あほのこですやん! まじめっぽく言ったのに!
ということがありました。
残念です。(完)
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たのもう、と正面の木戸が叩かれた時、家中の者は皆遅い夕食の時間だった。
「──たのもう! お頼み申す!」
外は雨が降っていた。昼間ではよく晴れていたのが、夕方の風を聞く時分からにわかに掻き曇り、そうかと思うとつぶてのような雨が降った。店先の板屋根にもはぜるような音で降りしきり、前の道はたちまち赤土の川のようになった。
「たのもう!」
その声のしたのは、そうして駆け込みの客の片付いた後、降り出してずいぶん経ってからだった。
「千加、お千加」
「はあいー」
「表、開けてきてやっておくれ。峠を越え遅れたお客さんだろう。代えの着物と、足洗を持っていっておくれ」
はあいー、と帳場の横の控えから足音が立つ。もうここに勤め始めて二年になる。千加は気働きの利くいい子だ。次の藪入りには何を持たせてやろうかと思いながら、与兵衛は膳に箸を置いた。
「ごちそうさま。表を見てくるよ」
「はいはい」
空いた椀を片付けながら、妻が厨の方を見た。
「ともかく餅でも焼かせてきますね。お酒もつけておいた方がいいでしょうか」
「ばかだねおまえ、それよりきっとお風呂だよ」
人数の多い店でもない。脇に外しておいた前掛けを着けて、与兵衛は襖を開けた。むっとするほど濃い雨が匂う。これは明日しっかり磨いておかなければあちこち青くなってしまうだろう。きつい夕立だ、と独りごちて、与兵衛は主の顔を作った。
雨の音がする。
「ご主人……」
ごうごうと響くほど降っていた。
白だ。
戸口の向こう、表は真っ白な雨が降っていた。
「それがし……」
「はいはい、わたくし諏訪屋主人の与兵衛と申します」
足許に吹き込む。表を開けた拍子に浴びたのか、千加の着物がまだらに濡れていた。
「これは大変なお天気でございました。お侍様、お泊まりでよろしゅうございますね。今日はもうこれ以上行かれることもございませんでしょう」
「ああ……」
「……お二人ですか?」
そう聞いた自分に驚いた。
「そうだ、二人だ」
それでようやく、与兵衛は影の二人あることに気づいた。
「構わぬか、ご主人」
傾けた笠の端から雨が落ちる。軒から顔を突き出して、侍は与兵衛の顔を向いた。
「すまぬな」
人懐っこく笑ってそう言って、侍は戸口をくぐった。骨張った手が、したたる髪の水を切る。
「……赤毛なんですねえ」
与兵衛は笠を受け取りながら、ぼんやりと口にした。
「ああ」
子犬のように体を震う。手拭いを差し出したまま、千加が袖でしぶきを防いだ。
「これ、千加手拭いを……」
その時、横からふうっと影が差した。
「あんた、それじゃ乾かないから」
ごめんね、と後ろから抜けるように男が手を伸ばした。
「それちょうだい」
外した笠の下から、後ろ髪の一筋長いのが蛇のように見えた。
「ありがと」
何をするでもなく、取り上げた手拭いの代わりに千加の手に笠を掛ける。ただそれだけのことが手品のようにするすると進む。男の通り過ぎた戸口は、いつの間にか閉ざされて、雨の音はもう遠くのことのように聞こえた。
「部屋、どこが空いてる?」
それが自分に向けられた言葉だと一瞬気がつかなかった。
「ご主人?」
は、と思わず声が出た。
「あ、ああ、一番奥ですがよろしいでしょうか。あの、二階の奥なのですが」
「構わないよ。ねえ、こんな時分に来たおれらが悪いんだし……ごはんだったんでしょ?」
「え、いえ、そんなことは」
「ごめんね、邪魔して」
千加はぱちぱちと瞬きをして、赤毛の侍を見ていた。侍もその視線に気づいたのか、何を言うでもなく、じっと千加を見つめている。まだ小柄な千加はすっかり見下ろされるような体になって、目をまんまるにしている。
「あの、お侍様、お着替え、あの、あと足洗も……」
泥、と千加は妙に緊張した顔で、上がりの籠を指さした。
「ああ。これでは上げてもらえぬな」
赤毛の侍は泥を吸った草鞋を見て笑った。脚絆に括りつけた紐まで黒い。土間には二人の足許に雨の染みができていた。
「着替えるか、さす──」
け、と名を呼んで、侍はなぜかうろたえた気配を出した。
「い、いや、だ──旦那か?」
「なんでもいいよ、もう」
あきれたようにため息をついて、もう一人が長い髪を払った。
「着替えは後でいいや。悪いけど、このまま体拭いて、先にお風呂もらってもいいかな?」
とろりと、声に質感があるのだとしたら、とろりと、その声は与兵衛の耳に忍び込んだ。
「ごはんは部屋入れてもらってていいかな。お風呂上がってそのまま着替えて行くから、戸のところに着物置いといてくれる?」
手拭いの白が男の顔を隠す。特段伏せているわけでもない顔の、その印象をちらちらと蝶のように動く白が邪魔をする。袖を拭き、衿を直して、脚絆を解く指が白い。
「行こうか」
気がついた時には、男は框を上がって与兵衛を見下ろしていた。腰に帯びた黒鞘がしずくを垂らしている。帯刀だ、と与兵衛は僅か緊張した。
「奥?」
「あっ、あたしご案内します!」
「そ、ありがと」
笑った、その顔に、魅入られた。
「先行くね」
こちらです、と千加の導く先に足音の遠ざかるのを見送って、与兵衛は不思議なものを見たような心地になった。笑うはずのないものが笑ったような、動くはずのないものが、己に口を利いてくれたような。
「お連れ様、おきれいな方ですな」
まだ侍はもたもたと袴の裾を絞っている。
「きれい? 何がでござる」
「いや、なにとも言えませんが」
器用そうな指をしているのに、脚絆の紐も半ばで解きかけておいてあるのが、なんとなくおもしろかった。しきりにずれ落ちるのを直す、背に負った長包みも中は刀であるらしい。先の侍といい、荷物の少ない連れだと思った。
「脚絆が取りにくいご様子。お手伝いいたしましょうか?」
「いや、さには及ばぬ!」
「でもなんだかずいぶんお手間取りのご様子じゃありませんか。きっと雨で紐が締まってしまっているんですよ。手も冷えているでしょうし」
「いや、できる!」
そう言うと、赤毛の侍は辛抱が切れたのか、脚絆ごと無理矢理草鞋を足から抜いた。
「それはまたなかなか……」
「残りは風呂でもいただいて落ち着いてから部屋でする!」
乱暴に手足を拭って框を上がる。
「風呂場は奥でござったな!」
さようで、と言いながら、与兵衛は一瞬剥き出しになった男の脛に目を取られた。
「今日はもう続きのお客様もおられないでしょうから、お二人でごゆっくりお浸かりください」
「かたじけない!」
袖口から雫を落としながら、体つきの割に重心の低い足取りで男が廊下の角に消える。
それを見送って、与兵衛は、刀傷だな、と思った。
結局二人とも差料を預けなかった。
「いと、いと」
奥に向かって妻の名を呼びながら、与兵衛は今日は子供を奥の間に寝かせようと思った。